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私の好きな言葉
私がサーフィンと出会って、いつも口にしていた言葉が『GO FOR IT!(行くしかない!)』
波乗りの原点は沖に出ないと、波に乗れないのが基本、パドルアウト(手で海面をかいで前に進む作業)して沖に行くには言葉の通り! 沖で波を待ち、その波に乗ることもチャレンジすることも"GO FOR IT!" 現在、私自身も年をとり仕事に対しても昔と変わらず、どんな企画、事業も"GO FOR IT!"という言葉が適材なんだな〜と思う! 将来も死ぬまで"GO FOR IT!"です。 22才〜現役にかけての活動
私がサラりーマンをやめて四国のボードクラフト工場に入ったのが19才、実質プロとして活動しようと行動に出たのは22才の後半ぐらいか?
活動としては遅咲きみたいな感じでそれなりにがんばった記憶が私の中では鮮明に残っている。
余談(当時のスポンサーさんや協力してもらった人たちにはこの年になってやっと感謝という言葉をしみじみと感じるようになりました。)
四国時代での生活、湘南での波乗り道場、雑誌取材でのTRIP、ハワイノースによるいけいけ合宿、などなど、
大阪に戻らなくてはならなくなるまでの現役は実質26才ぐらいまでと短い間でしたが、
一般の人たちには経験の出来ない事の多くを勉強させてもらい、今ではそれがかえって励みになり日夜がんばっております。
プロ活動時にお世話になった当時のスポンサー
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当時ハワイ、ノースショアーに毎年冬になると3ヶ月ぐらいは滞在している期間でのサンセットPOINTでの1シーンなり! アウトでのピークでは当時、先頭にマイケル ホー、ディーンK、ショーンT、とかそうそうたるメンバーで単なるこぼれ波に必死でした。 この後、どんどん波がでかくなりサンセットポイントでの限界近くまで入ってはいるものも、セットでクローズするため心の本音はびびってあがった記憶があります。 ちなみに日本人で当日、最後まで一緒に入っていたのが糟谷修治プロでした。 (セットが来るたびクローズになるのでパトリングが大変だったので二人でぼやいていた) |
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今でも鮮明に覚えている写真! ノースがクローズし、モクレア方面に向かいアウトサイドリーフPOINTでの1シーン! この後バッグサイドチューブに入るものの、最後につぶされてしまうが同時にボードが波と同時に上からふりかかり、私の右肩にぼうだ 板(ボード)は真二つになり、残ったのはテール部分(ストッパー付き)のみ! と同時に、これまた!右肩が動かない!陸まで1Kmぐらいか? 当時、カメラマンこと木元直也(当時の同年有志で大阪出)から足ひれを借り、テール部分のみを胸に抱えて1時間近くもかかり 陸まで帰り、病院へ直行。 2週間近くもスポーツは駄目!との診断。 海の中で何回も上を向いて休憩し、親の顔や彼女の顔が浮かび当時死ぬ思いでした。(お笑いですが!) |
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ハワイ滞在当時の私サーフボードクリンナップ
ローカルモーションの2本は当時パットローソン(当時無名)によるシェープ!
すごく乗りやすかったのは覚えている。(癖がない) 他2本はテリー篠原さん、テリーさんの板は私にとって今も一番あっていると思う。 パイプラインPOINT前でのDAVEハウス時代にて庭先で撮影された1シーンなり! 若いな〜! ちなみに現在の写真は内緒です。 |
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金岡直樹の過去のサーフ記事を掲載しております。
詳しくは右バナーより『Naoki Kanaoka Clipping from a magazine』をご覧下さい。 >>> |
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